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マッキンゼーによる3Cの具体例

サントリー対キリン

サントリー対キリン

スーパードライの誕生と躍進の背景

戦略を考えるうえで、市場(顧客)、競合、自社の3つの動きを「モレ」なくカバーし、深くとらえることがいかに大切か、さらに戦略を実行するうえで「広がり」を押さえ「具体化」することがいかに重要か、スーパードライの誕生と躍進の背景を追いながら考えてみる。

市場(顧客:Customer)

まず市場(顧客)に関しては、1975年頃にはビール需要は飽和点に達し、その後も後も酒税の増税に伴う値上げや、嗜好の多様化によるワインや焼酎ブームの影響で、ビール市場はすっかり成熟してしまったというのが一般的な見方であった。
しかしながら、もう一歩消費者レベルで掘り下げてみると、実態はかなり地殻変動が起きていたことがわかる。というのは、消費者の嗜好や行動様式の変化によって、「生化」や「缶化」といった構造的変化はすでに進行していた。
1980年代の半ばには、生化率は50%近くになっていたし、缶化率も年々高まっていたのだ。
このような消費者の構造変化が進む中で、従来のラガーや当時の生ビールでは十分に満足できない「ドライな生」を求める消費者ニーズが、 まさに水面に浮上しようとしていた。

競合(Competitor)

一方、スーパードライの出現前の競合状況は、業界全体が「成熟市場」という、何をしても大きな変化はないだろうという「既成の枠」にはまり込んでいたために、飲料・食品の本質である「味」からはかけ離れたところで競争が終始繰り広げられていた。
面白いネーミングや奇抜なデザインのパッケージからピヨビヨと音が出る容 器に全るまで、容器戦争と岬呼ばれたこれらの競争は、きわめて表面的なものだった。
また、およそビールのイメージからはかけ離れた奇抜な広告表現はたしかに面白いが完全に"SO WHAT?"で、ビールを飲んでみよう、あるいは試してみようという、人間の素直な意識への働きかけとはまったく別のものであった。
どのメーカーも、他社が新たに仕掛ければとりあえずは受動的に対応するため、すべてがあっというまに1色に同化してしまい、消費者にとってはただ騒々しいだけで、競争があってもないような状況に映っていた。そして、当時のアサヒビールも、そうした業界の慣習に黙々と追随していただけであった。

自社(Company)

そうした中で、アサヒビールの自社の状況はというと、じりじりとシェアを落とし続け、1985年には9.6%の一桁台にまで落ち込み、「夕日ビール」とまで呼ばれていた。
それでも、抜本的な打ち手の見えない手詰まり状態のまま、製造コストを下げるために二流の原材料でビールを造っては、無理に販売チャネルに押し込んでいた。
そのため、流通在庫がダブついて店頭には日付けの古い、 おいしくないビールが並んでいたのである。

打開策として「最高の味」のビールを提供

アサヒ スーパードライ 500ml缶×24本

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樋口 廣太郎会長(当時)の「前例がない。だからやる!」という発想のもとに誕生したドライビールは、既存のビール市場を<ゼロベース思考>でとらえ直し、 同時に若い商品開発担当者の<仮説思考>を尊重し、取り入れたのが起点となっている。

引用

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新版 問題解決プロフェッショナル

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